Facebookをチェックすると、5年前の投稿が出てきたので、過去作と、その展示について書いてみます。
2016年の個展「KURU KURU J」にて、発表した《咳をする男:20××》。今のコロナ禍とは別の意味でマスクを用いていました。
テーマが過激なため、詳細についての記述は避けますが、「20××年、ある男が、とある国の誰もが知っている、とある原稿を読む」という設定のフィクションです。
男は原稿を読みながら、何度も咳をしてしまいます。男は咳をした箇所を読み直すことなく、そして、一切、謝罪もせず、先へと読み進み、また、咳き込んでしまいます。結果として、咳は放送禁止用語を隠すための自主規制音(ピー音)のような働きをします。聴者は話の全ては理解出来ないものの、聞き取った文体の断片から、「あの時と同じようなことが再び起こった」ということを推測してしまうという仕掛けです。
個展「KURU KURU J」では、他にも高松次郎の作品《複合体》への疑問を形にした、椅子を転がしただけの作品など、複数、挑発的な内容のものを展示しました。
「KURU KURU」には、くるくるパー的なものとか、輪廻的なニュアンスを含んでおり、「J」にも複数の意味を込めました。
今思うと、インスタレーションや、個々の完成度について改善点はありますが、内容的には、気に入っています。
展示は、お金がなさ過ぎてギャラリーに泊まり込みでした(笑)。