4月12日、第18回岡本太郎現代芸術賞展が終了しました。
お越し下さった皆様、搬入・搬出や会期中に大変お世話になった学芸員さんやスタッフの皆様に心より感謝申し上げます。
出展作家さんの中には個人的に少し接点のある方々もいました。楢木野淑子さんは大学の先輩で今回初めてお話することが出来ました。菊谷達史さんと四井雄大さんは兄の大学時代からのお知り合いで、今回初めてお会いしました。敏子賞を受賞された久松知子さんとは、三重の美術予備校の基礎科時代からの知り合いです。私は受験の年、途中でその予備校を辞め、名古屋の河合塾美術研究所に行ったのですが、浪人時に再会、そして今回再び再会しました。また、どこかでお会い出来ると勝手に予想しています(笑)。
素敵な作家さん達との出会いにも感謝致します。多種多様な表現がぶつかり合う会場にて、作品を展示させていただいたことをとても光栄に思います。
今回(18回)より始まった企画、手紙プロジェクトにて温かいメッセージの数々をいただきました。自らの作品に対する真偽はいつだって、他者による言葉が起点となっております。
前回のブログ(http://akio-ishiyama.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html)にて「なぜ、今、作品を残すのか?」という問いに対して、「今じゃなきゃつくれない(死んでからでは作れない)」といった味も蓋もない解答をさせていただきました。「なぜ、今、作品を残すのか?」といった問いは、「未来に作品の真偽がジャッジされる仕掛けを作っている」ということを明言したオルガノンシリーズ(http://www.akio-ishiyama.net/#!-works3/c16x2)だからこそ発せられた問いに過ぎないのではないかという仮説を導きました。恐らく、自分以外のほとんどの作家も、未来に向けて、今、作品を作り続けているはずであり、自分がモノを作る要因は、全く特殊なことでないと認識することにもなりました。
「主体は客体にはなれない」ということを考えると、「客観的視点とは、所詮は主体に帰属するものでしかない。客観的と主観的という言葉はおそらく同義である。」という当たり前過ぎる事実を前に、いつもいつも凹み続けております。
一創作者が、自分を超えたモノを作るには、「チームを組織し、他者の手を借りるという物理的な方法論を用いる」か「人の意見を聞く」という二択しかないのではないといつも考えています。当然、資金や組織力がない多くの人は後者の一択しか出来ないのでしょうが・・・。もちろん、現在、「誰が知っとるねん!!」という超ドマイナー作家の私は後者の一択しかできません(笑)
肯定、否定、今後も皆様の様々な意見を参考に作り続けさせていただきます。
(写真撮影:松原豊)
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