2013年5月19日日曜日

​何を残せるか、どれだけ残せるか・・・



私が己の文字を刻み記すのは、思考の過程にある〈目的の尊厳〉を、誰よりも求め続けるからだV(部分)
2012

21×19.5×19.5cm 
Photo:MATSUBARA Yutaka


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きている間に何を残せるか、どれだけ作品を残せるのかと、最近、よく考えています。

明日どうなるかもわからない中、馬鹿みたいに明るいものは絶対に残したくないことは確かなようです。

今、とある作品群と平行してΟΡΓΑΝΟΝ(オルガノン)シリーズの作品をほんの少し作っています。
http://www.akio-ishiyama.net/#!works3/c1ksw

このシリーズの作品群には、他者には明かす必要のない私的な哲学や日常の記録が、自ら考案した自らの文字で記されていますが、やがてこの文字が解読されることも想定して作ってもいます。

こちらは、気分転換??に制作中の犬です。























まだまだ、作り足りません。作品は増え続けていますが、今は秘密にしておきます。








2013年4月22日月曜日

制作日記(2013/04/22)






イライラとワクワクのないまぜのような、心地よい緊張感が毎日続いております。

最近、「制作そのものが一種の修行??」ともとれるような日々を送っています。僅か数週間で想像以上の疲労が蓄積してきました。自分にとっては、最も大きな挑戦になると予感しております。

心配した家族から体に良さげな物がいくつか送られてきました。有り難いです。
















冷蔵庫には亡くなった祖父が漬けた自家製の梅干しが残ってます。
こちらは、噛み締めるように少しずつ消費していっています。

果たして、完成するのだろうか・・・・

不安は拭いきれませんが、少しずつ長期戦への準備が整ってきました。




最初は誰も読んでいなかったブログですが、アクセスが少しだけ増えてきました。ありがとうございます。
アメリカからの閲覧が増えているのが不思議です。

土地蔵より、多謝の図ですww



































土地蔵
2013
Installation view
Photo:MATSUBARA Yutaka




2013年4月5日金曜日

ホームページ







































私が己の身時を刻み記すのは、思考の過程にある〈目的の尊厳〉を、誰よりも求め続けるからだIII
2012
陶土
24.2 ×20.5×20.5cm
Photo MATSUBAYA Yutaka



ホームページ作りました。しばらくはこちらのサイトにて作品画像等をアップしていく予定です。

「Google Chrome」「Firefox」「Internet Explorer (IE9以降)」及び「Safari」の、HTML5をサポートしているバージョンに対応しております。それ以前のバージョンでは背景色の白が黒く表示されたりと、正常な状態で表示されない可能性が高いです。

http://www.akio-ishiyama.net/

2013年3月19日火曜日

土地蔵

土地蔵(拾柒) 2013/陶土/13.5×7.8×8.7cm      
 Photo : MATSUBARA Yutaka



私は特定の宗教を信仰しているわけではありません。

しかし、何らかの崇高な存在、目に見えない対象を多くの人間が信じているという根拠は一体なんであるのかという事に強い興味を抱き続けています。

危機感と閉塞感を抱く毎日の中で、気がつくと目を閉じ、手を合わせ、祈るように生きている自己が確かに存在するという事を最近になって自覚しました。

私の精神と肉体は、自覚や知覚を通して、崇高なる存在が何であるかという実体はつかんでいないものの、無神論者ではないのだと思います。

多くの日本人が崇める地蔵を、〈確かなようで不確かな信仰心〉を持った自分が表現したらどうなるか、何気ない動作によって生まれた現象を記憶してしまう〈土〉という物質で表現したらどうなるか・・・・

答えは、祈りを秘めた創作の中にあると信じています。





















土地蔵(壱)2013 /陶土/16×9.5×12cm(Detail) 
Photo:MATSUBARA Yutaka

ナンチャッテ評論ー石山浩達〈AlienVision〉についてー

(この文章は前ブログにて2012年11月7日に投稿した文に加筆や修正をしたものです。)


Photo:Matsubara.Yutaka          
    

生まれて初めて「ほしい!」と言ったものは、おもちゃではなく、昆虫図鑑。
それを見ながら絵を描き出した生まれながらのお絵描き少年・・・・                                                                                     

オモチャが無ければテレビのヒーローは紙で作ってしまう・・・・

お願いしたらオモチャを作ってくれる・・・・

紙ぺらロボットだってトランスフォーム・・・

喧嘩っ早い小学校一の問題児・・・

弟には妙に優しい・・・


そんな兄は幼少期の私にとってヒーローのようなものでした。



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〈AlienVision〉というメインコンセプトで絵画・立体など様々なスタイルで作品制作をする石山浩達。自明の事実として、それは彼が作り出した視点ではありますが、作品に私的な感情が感じられないというのが、かなり不思議で面白いです。

2012年まで〈 AlienVision〉は、三つの絵画シリーズと 立体シリーズを合わせて、4つのセクションによって構成されていました。

AlienVision:Lightより 「
Alien Vision 4:渦動」Photo:Matsubara.Yutaka

AlienVisionDarknessより「赤い星」Photo:Matsubara.Yutaka


AlienVision:Metamorphoseより「AlienVision5:Metamorphose」Photo:Matsubara.Yutaka

AlienVision:Eternalより「永遠の個」





Alien Vision:unlimited oil  2013 500×500×500cm Installation view
Photo:Matsubara.Yutaka
Photo:Matsubara.Yutaka

2013年、「第16回岡本太郎現代芸術賞」での展示Alien Vision:unlimited oil」にて、大型絵画+立体を含む100以上のパーツから成るインスタレーションを展開。
フリーハンドで描く新ペインティングシリーズ〈AlienVision:Manga〉が加わりました。
AlienVision:Mangaより「Alien Vision 6:Manga」 Photo:Matsubara.Yutaka

どうやら新シリーズのMangaは今までの作品とは違う側面を持っている模様。立体・平面で表現されている作品がキャラクター化し描かれ、Alien Visionのコンセプトを読解するための機能も担っているようです。

Alien Visionは表現方法がシリーズによって異なるというのが大きな特徴ですが、スタイルが異なる表現は自律的でもある一方、補完し合う事で、 AlienVisionの世界観は拡張され続けていますこれからMangaをブリッジとして拡張され続けるのでしょうか・・・

兄・浩達は〈AlienVision〉のシリーズを制作する以前、幼少期より、極めて私的な視点が介入していると思われる作品を幾つも描いてきました。

冒頭で触れましたが、彼が最初に買ってもらったものは、おもちゃではなく、昆虫や恐竜の図鑑。昆虫や恐竜、憧れのヒーローから描く対象は次第にオリジナルなものに変化していきました。ほうきに股がる友人を魔法使いにしたり、唇が特徴的だったボクシング少年をボクサーに見立ててキャラクター化し、それらのキャラが登場する物語を作ったりしていました。様々な人と出会い、何かを吸収していくなかで自我に目覚め、対象が変化していくというプロセスはごくごく人間的なモノだと思います。
 
《わきあがる意志》H111.6xW91cm (石山浩達が高校2年(16歳)の時に描いた作品)

高校時代の油彩画は今より厚塗りで、特に、握りこぶしを描いた《わきあがる意志》は、タッチも強く、ギラギラとした力強さを放っているように思いました。以前の兄が描く絵には、人間的な意志や感情が強く滲み出ていたように思います。


穏やかな笑顔を見せたり、家族と良く喋ったり、時にムスっとしてみたりする兄とは違って、Alien Vision のシリーズには私が〈お兄ちゃん〉に抱き続けている人間的な雰囲気がありません。

特に絵画の〈AlienVision:Light〉のシリーズは、まるで別の人格や生物が遠くから俯瞰しているという感じすらするほど技巧的で超クールです。






                                                                                                                                             
AlienVision:Lightより「Alien Vision 1 ー真砂なす数なき星の其の中に我に向ひて光る星ありー」(正岡子規より)
Photo:Matsubara.Yutaka

「技巧的で超クール」だというのは、〈AlienVision〉において、彼が自らの筆跡や造形感覚を消しているという事ではありません。例えば、隅から隅まで精密に細部を描き切るのが彼のLightシリーズの特徴であり、その独自のテクニック(板、白亜地、油彩、古典技法+オリジナル)を駆使しながら、これでもかと言わんばかりに、独創的で濃密な世界を描いています。それは、独自の手法やセンスで制作していながら、作品に痕跡として残ってしまうであろう〈感情を帯びた視点〉の行方が不明だという事です。

 
私がここで言う〈感情を帯びた視点〉とは、創作という過程のなかで発生する作り手の視点を連想させる痕跡、作者の熱やオーラと言った、言葉に表しにくい、あるいは実証不能な作者独自の雰囲気を纏ったものを指します。

作り手にとって、創作に〈感情を帯びた視点〉が介入してしまうのは、おそらくノーマルな反応だと思いますが、それとは対照的な反応をしていると感じる兄の頭の中は、今でもさっぱり解りません。

繰り返しになりますが、〈感情を帯びた視点〉の介入を拒み、創造によって架空の世界を造り上げていくという事に、 石山浩達 〈Alien Vision〉の魅力を感じています。
 


また、彼の最大の長所はシンプルに頭が良いという事です。一見、荒唐無稽とも思える「Alien vision」というコンセプトは、他の表現者たちに「私は人間です」と言うしかない選択を迫るという点で、他者との絶対的な差別化を計る優れたコンセプトだと思います。



Installation&Tea Ceremony 「グレーテルの嘘」


この文章は前ブログにて2012年11月23日に投稿したものです。


大学の授業「造形演習2」のお茶会。22日に行われました。沢山の方々に来て頂き、感謝しております。また、おもてなし出来なかった方々に対して、お詫び申し上げます。

一日経った今日、嬉しい言葉を何人かから頂き、穏やかな余韻とともに、充実感を噛み締めております。

お茶会といっても、それぞれの方法で誠意を込めて人をおもてなしするという事が目的の催しです。(⇦たぶん・・・)飲み物ももてなし方もそれぞれ自由です。


今回の課題では、人と組む事になりました。

留学生Alice Doublierとともに、もてなす側の姿を見せないで、お茶をふるまう仕掛けを考えられないかと模索した結果、物語の登場人物としてお客さんにプチアドベンチャー体験をしていただく企画を考えました。誰もいないはずなのに、気配を感じるような演出ができないかと模索しました。

グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』の話をもとにした、ヘンゼルとグレーテルやその家族の、物語には描かれていないオリジナルストーリーを考えました。

主なストーリー構成やコンセプトなどは私が担当し、Aliceは演出に必要なロウソク、おちゃ、おかしといった重要なモチーフを選んだり、物語の核となるボイスレコーダーに声を吹き込むという事、当日のお茶とお菓子の準備など、物語の核をささえる多くの働きをして頂きました。アリスありがとう!!

お客さんにはスタートする前に、ボイスレコーダーの音声を聴いていただき、その音声や、道に落ちている小石、写真を頼りに行くと紅茶とお菓子がある場所に到達するという仕組みを考えました。誰もいない筈なのに目的地まで行くと、温かいお茶が置いてあるという演出です。

不作と飢饉が続く時代に作られた『ヘンゼルとグレーテル』には残虐さを緩和するための子ども向けの話など、多くの解釈や設定が異なるモノがあります。

原作の話をより残虐にしつつも、何か最後に救いが少し見えるような話に出来ないかと考えました。




















残念ながら、今回はあまり写真を残す事が出来ませんでした。また、当日の様子を言葉だけで書いても伝わることではないので、ここでストーリーの詳細を明かす事はできません。

人と一緒に何かをする事はあまりないですが、今回はそれぞれのセンスや特性を生かして、うまい事まとまった気がします。































撤収前に急いで何枚か写真をとりましたが、あまりうまく撮れていないので、二人で、展示に使ったモチーフを分け合いました。それぞれがロウソクが入った瓶を一本ずつと小石を一つずつ。アリスにはお茶会で使ったコップを幾つかあげました。

私は、燃え尽きたロウソクとともに、思い出のモチーフを瓶につめオブジェとして飾る事にします。








































もう二度とあの時の演出は再現出来ないけれど、こういう思い出の詰め方はこれはこれでありだと思います。

楽しかったです。