2013年3月19日火曜日

理解者

(この投稿文は前ブログにて201年05月14日に投稿したものです。)













                                                                                                                                     
展覧会へ行ったら、好き嫌いや内容に関係なく、必ず図録は買うようにしています。しばらくして、図録でもう一度チェックしてみると、ショックを受ける事があります。

「あれ、こんないい作品あったっけ?」

中には、展示には無かった作品がプラスとして掲載されている図録もありますが、実物を観ながらも、明らかに見落としていたモノに気がつくことがあるのです。

私の場合、展覧会で会場内を回るのに二時間ぐらいが平均です。三時間を超える場合、けっこう疲れます。一巡目で全体を一通りチェックしながら、二巡目、場合によっては三巡目でもう一度気になったものを観るといった感じです。

もちろん、実物と図録で観るのは、誤差はあるものの、その時の気分や体調で向き合い方が違い、感度に大きな差が生じるのだと思います。

考えてもみれば、通常、作者はその作品一つに膨大な制作時間や思考を投じ、多大な労力をかけていて、鑑賞者がそれと向き合うことは容易なことではないのだと思います。鑑賞者が一つの作品を観る時間は、それほど長くはない。大きな会場だった場合、一分立ち止まってくれたら、丁寧な方だと思います。

その鑑賞者から、今までには無い視点を得て、大きな財産を得ることはある筈ですが、やはり、作っている本人が自身の創作に対しての一番の理解者であるべきだと私は感じています。






GEISAI#16


(この文章は前ブログにて2012年4月8日に投稿した文章の一部を修正・加筆したものです。)




 




































2012年3月30日から4月1日まで、東京に行ってきました。主には「GEISAI#16」の展示のためです。上の写真は出品作メインの「3,1087mm」です。制作に使用したワイヤーの長さを表しています。




3月30日。展示日前日はアートフェア東京に行きました。以前、一度だけ行った事があるのですが、今回は「PROJECTS」ブースが展示ホールへと移動し、全てのギャラリーが同じ会場内で観れたことが有り難かったです。


 3月31日。搬入スタート


 










 

展示ほぼ完了。



  
GEISAI#16会場 東京流通センター第二展示場

 



















 

4月1日。下の写真は開場前のものです。当日も来場がスタートするまで準備時間があります。この後、沢山の来場者の方々にお越し頂き、会場内は賑わってました。

















 
 
今回、いろいろな方々から貴重なご意見をいただいたり、イ・ブル展やアートフェア東京へ行った事も含めて、いろいろな事を感じ、学んだ事が良かったです。未熟であればあるほど、早ければ早いほど、批評していただくという経験は貴重なものだと思います。とても勉強になりました。本当にありがとうございました。

ただ一つ残念だった事は、ほぼ全ての出品者が良識あるマナーとルールを守る中、会場内の自分のブースにて表現が完結していなかった方がいた事です。

一方向の展示プレゼンが条件だったのに、ブース内の裏面も活用した文字の看板を設置し、結果的に裏側の人のブースの展示と一体化。他者の世界観を穢しながら、自分は会場内を歩き回ってパフォーマンスをする等、その手の方々が数名いました。

また、私のブース内に侵入しながら、自身の作品のプレゼンをする方も一名いらっしゃいました。

ブース内は〈聖域〉です。自分のブース内の活用方法は各々の自由だとしても、他者の表現スペースに侵食することは許されるべきことではないはずです。

誰にも表現をする権利はある。たとえ自己満足であったとしても・・・・・。しかし、他者を尊重出来ない人は公的な場で発表する社会的権利がないと私は考えています。ブース内に侵入した方に関しては後半にはご理解いただいたので良かったですが・・・・・

いや、やっぱり良くはないです。ただ、理解が得られないよりは「マシ」だと思います。

「陶芸やっていながら何故針金?」といった率直な疑問を持った方も、もしかしたら多いのかもしれませんが、これから試していきたい素材や手法は幾つかあり、それらが今後、網の目のように交錯してくるかと思います。

今まで作ってきたものは、これから作るモノの実験。これから作るモノはその先の実験。

これからの方が面白くなるはずです。
 
最後に今回の搬入や運転等で大きな活躍をしたカングー(車)と父に感謝です。

私が己の文字を刻み記すのは、思考の過程にある〈目的の尊厳〉を、誰よりも求め続けるからだ



(この投稿文は、前ブログにて2012年2月5日2012年2月15日にアップした文章を修正、加筆したものです。)









































「私が己の文字を刻み記すのは、思考の過程にある〈目的の尊厳〉を、誰よりも求め続けるからだ」の写真です。

ズバリ、タイトルの通り、他者とは共有できないような自らに発する〈問い〉が、私にしか解読することができない私が考えた文字で、立体作品の表面に記されています。

ここで重要なのは、ここに書かれている事を解読する事ではなく、何故、自らの文字で書き記すかということです。

自分とは異なる他者同士が、互いに尊重し合い、理解し合う事は、人間が〈社会〉〈関係〉を構築する上で大きな課題であり、絶対に必要な事だと思います。何者かが、自らの個人的基準で社会そのものの方向性を決定したり、個人的思考を周囲に適応させようとしてしまったら、共に共存しているというルールや社会そのものの原理が崩壊するからです。

権力を持つ一部のものが利権を重視し、他者の生命や尊厳を脅かすようなことも、もちろんあってはならないことです。

しかし、他者に危害を加えない限り、必ずしも常に目的を共有し合う必要はないのではないか・・・・・・・

私が問いたいのはそういった事です。

一番守りたいもの

(この文章はは前ブログにて2012年3月14日投稿した文章です。)


「この中で、自分の命と変えてでも、モノを作りたい人はいますか・・・?」



正確には覚えていませんが、高校生の時、ある美術家が美術予備校の作品展に訪れて、こんな内容のことを言いました。
その時、私は迷わず手を挙げませんでした。答えはノーだからです。

命をなめちゃいけない。
その人の講評を聴いていると、知らない言葉や、知識、明解な語りに聴き入ってしまい、かなり頭の切れる人だということは解りました。人の話も丁寧に聴き、その上で助言をしていました。基本的な良識がある立派な方だとも感じました。
しかし、その発言に関しては違和感を持ちました。
 
生き続けなければ、何事も生み出せません。「命に変えてでも、モノを作る」というのはただの精神論。
制作に没頭した結果の代償として、精神や肉体が限界に達し、結果として命をすり減らすということや、命を落とすことはあったとしても、そんなことを意識的に美学として保とうとする人は不健康だと思います。
あえて「命懸けてます!!」と、自ら語る価値もないはず。個人的にはそういう考えはあまり好きではないです。嫌いというより、どうでもいいという感情に近い。

別に否定をしているのではありません。
 
ただ・・・・・・・・肉体的にも、発想としても〈不健康〉です。
 

私にとって、命以上に大切なモノはありません。生きていなければ何も出来ないからです。


インスタレーション エピソード





2012年1月6日に、現在通っている京都精華大学のグラウンドを占拠してインスタレーションをしました。正確に言うと、グラウンドの個人使用許可を大学に申請して行いました。


設営と撤去は当日中に行ったものの、準備には様々なエピソードがありました。だいぶ時間が経過してしまいましたが、今日はそのエピソードについて書いてみようと思います。


もともとこれは素材演習2という陶芸コースの選択授業のためにしていた制作でした。アルミホイルや金属の簡単な溶接といった課題を経て、最後の課題だったのがケッソクセンを使って何かを作るというもの。テーマは〈建築〉。

自然や道具など何かに関わるモノをつくるということであって、大規模なことをするなんて、想定していませんでした。

最初は合評のための展示に過ぎませんでした。

制作方法は自由。




























これは、現在制作中のある作品のほんの一部をアップにしたものですが、質感は異なるもののケッソクセンは自分が日頃から愛用しているカラーワイヤーと素材の性質的に差異はあまりないように感じました。むしろ、ケッソクセンのほうが柔らかくて曲げやすいくらいでした。


最初はとりあえず、ただただパーツを作っていって形と形の意外な組み合わせを探していくというような作業をし続きました。

自分が日頃からしている制作手法そのものだったので、次第に何か新しい事がしたいと感じるようになりました。

私は比較的広いスタイルを模索しながら、精神やセンスのバランスをとっていく傾向があるのかもしれません。シンメトリーなモノを家で作って入れば、同時に大学ではアシンメトリーな形体をつくっていたり・・・・・。その逆もあります。

振り幅をつくりながらやっていることが多いので、新たな発見をしたいという衝動は自然な流れなのだと思います。



迷いながら、段ボールにびっしりつまった自分が作ったパーツの山を見て、閃きました。

パーツ全てを繋げないで重ねるだけでも、何かを構築できないか・・・・

















グラウンドを海にしよう・・・・・・

頭の中で、イメージとともに、「これを実現したい」という、強く鮮明な欲望が増幅し始めました。 

何かが切り替わりました。




















グラウンドを使って海にするという事は決まったものの、その展示規模はどうなるのか・・・・・。

進級制作展に向け、170キロ越えの大きな作品の制作に追われていた昨年末。焼成のためには、2011年中に作品の製作を終え、乾燥させておかないといけないという課題がありました。

多くの時間をそちらのほうに使っていましたし、いつもにはない手応えを掴みかけていたので、進級製作の時間を短縮するわけには絶対にいきません。

とは言うものの、こちらの展示も諦める訳にもいきません。とりあえず、体育館の用務員の方にグラウンドを展示のために使用する事ができるのか確認にいきました。

そんなふうにグラウンドを使用した前例がないようで、最初は驚いているようでしたが、経緯を話したら快く承諾していただき、展示は可能なもよう・・・。使用許可を申請するため、申請書に記述をしました。


しかし、次の日は、運動部が申請書を提出しているため、その日に撤去をしなければいけないという事が判明。

展示は2012年1月6日ですが、1月5日や4日といった期間に設営ができないかを聞きました。学校は1月5日まで、施設を使用してはいけないことになっています。とりあえず希望としては伝えましたが、学校側から「何かあったら困る」ということで即却下が決定。仕方がないので当日中に設営と撤去をする事が決定しました。
























課題はいくつもありましたが、とりあえずグラウンドを視察。


迷いながら教室とグラウンドを行ったり来たりしていると、気がついたら夜になっていました。

グラウンドには電灯によって強い強烈な光と陰の境が出来ていました。その境界を波打ち際にすることにしました。

まずは、電灯の位置をチェック。



 


















グラウンドやその周辺には電灯が幾つかありますが、時間とともに、グラウンド奥から消えていく事が判明。

翌日もう一度体育館に行き、警備の方に光の位置について操作出来ないか話をしました。

























こちらのタイプのライトは通常はついていないものの、希望があれば点灯が可能との事でした。しかし、それでは明るくなりすぎてしまうので通常の電灯を使う事が決定。



結局入り口ともう一カ所、二つの電灯が物語のカギを握ることになりました。























この二つの電灯を利用して、二つの物語を作っていくことにしました。

それぞれの電灯の下にボイスレコーダーを設置、そこには関連性があると言えばある、無いともいえるような異なる音声を録音。

どちらの音声を聴くかでインスタレーションのイメージがすり替わるような仕掛けを作りました。

音声収録後、物語のために必要な様々なモチーフとともに、針金パーツの設営を開始しました。外は寒かったですが、時間がないのであまり気になりません。無事設営を終え、何とかなりました。

あとは、講評時刻を「日没後」とお願いし、なんとか本番もうまくいきました。





当日、多くの方に見てもらいたかったものの、結局来てくれたのは「素材演習2」の授業を履修しているメンバーのみ・・・・・・。

さらに、進級制作の作品の窯詰め等でこれなかった履修者もいて、結局来たのは十人いるかどうか・・・・・・・・・・

事前告知が無かったので人が集まらなかったのは当然ですが、悔しかったので、あれは僕の〈展覧会〉だったことにします(笑)

形に残らない表現なので、カメラの撮影技術が無い事、ちゃんとしたカメラで撮影出来なかった事が悔やまれます。























 ヘボ三脚ありがとう!!
 無いよりは良かったです。