2013年3月19日火曜日

私が己の文字を刻み記すのは、思考の過程にある〈目的の尊厳〉を、誰よりも求め続けるからだ



(この投稿文は、前ブログにて2012年2月5日2012年2月15日にアップした文章を修正、加筆したものです。)









































「私が己の文字を刻み記すのは、思考の過程にある〈目的の尊厳〉を、誰よりも求め続けるからだ」の写真です。

ズバリ、タイトルの通り、他者とは共有できないような自らに発する〈問い〉が、私にしか解読することができない私が考えた文字で、立体作品の表面に記されています。

ここで重要なのは、ここに書かれている事を解読する事ではなく、何故、自らの文字で書き記すかということです。

自分とは異なる他者同士が、互いに尊重し合い、理解し合う事は、人間が〈社会〉〈関係〉を構築する上で大きな課題であり、絶対に必要な事だと思います。何者かが、自らの個人的基準で社会そのものの方向性を決定したり、個人的思考を周囲に適応させようとしてしまったら、共に共存しているというルールや社会そのものの原理が崩壊するからです。

権力を持つ一部のものが利権を重視し、他者の生命や尊厳を脅かすようなことも、もちろんあってはならないことです。

しかし、他者に危害を加えない限り、必ずしも常に目的を共有し合う必要はないのではないか・・・・・・・

私が問いたいのはそういった事です。

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